2009年08月28日

昔の彼に会うのなら


晴れのち曇り。


先日の中学校時代の同級会での事だったが、
恩師が、資料に、と保管されていた3年分の、
「あゆみ」という、生活記録が、
出席した同級生たちに返却された。


恩師は、この「あゆみ」を基に自費出版で中学校教員向けのテキストも制作された。



実はちょっとした手違いがあって、
同級会の時は僕だけ返却されなかったのだが、
今日になって恩師からの郵送で手許に戻ってきた。
(出席できなかった旧友達にも届いているはず)

実に30年余りの時を超えての手触りである。

「あゆみ」とは、
1ページの中が、
上半分が翌日の予定表を書く欄、
下半分がその日の自分の日誌を書く欄になっており、
それが1学期に1冊、
3年間だと3学期×3年で卒業までに9冊分を書く事になっていた。

(この形式は今、小学生の長男もやっている)


読み返すと、よくまあ先生はこんな乱文に付き合ってくれたものだ、
(あ、このブログも一緒か…)
と、ほとほと先生に感心してしまったのだが。

それはさておき。
笑ってしまったのは、
当時から僕は札付きの怠惰な人間で、
何ページかすると日付がいきなり飛んでいて、
挙句、「何日かサボってしまいました」だの何だのと記してある。
思い返せば先生から「忘れ物三羽烏の1羽」とも言われたなぁ。

それもそれだが。
もっと笑ってしまったのは…。
文体、というか文節の作り、というか表現のしよう、というか。
今とあんまり変わっていないではないか!
もちろん、文章そのものは今以上に稚拙なのではあるけれど、
とにかく全体的な雰囲気がまるで変わっていない…。
というか、これは単に成長していない、というだけの話か。

捲っていくうちに、
2年生の頃、
最も親しく、しかもクラスの人気者だった友人が、
宇都宮に転校してしまった時の文にぶつかった。
この時の文は、
「自分だけは笑って送り出してやるんだ」というもの。
その時、実際に、転校した本人もみんなも大泣きだったのだが、
僕だけは必死に堪えて、
無理して笑ってやっていたのを思い出した。
なんだか今になって泣けてきましたicon11

しかし、1年生の頃に書いていた文と、
3年生の頃の文とを比べると、
3年生の頃の文はかなり生意気で、
しかも時には乱雑であったり、時には詩を書いていたり。
受験を控えた心情もあるが、
精神的にはやはり不安定な年頃だったのかなぁ、と思った。
これは今後に控える自分の子供たちの中学時代に向けて、
自分へのちょっとした薬になりそうだと思った。



そんなタイムトリップを今日、したワケ。  


Posted by zuky at 23:02Comments(2)koukai日誌