2009年05月17日
経(ふ)る時
本葬。
焼香が9時から、本葬が10時から行われた。
多くのお寺さんから大勢のお坊さんが来て、
幾人かのお坊さんによる、いくつかの仏事が執り行われた。
僕自身は今まで故人の親族席に座った事はあまりないので、
何とも言えないが、恐らく普通の葬儀では見られないような、
様々な仏事だった様に思う。
太鼓や鐘を打ち鳴らすのも滅多にはないと思うし、
中には、ご自分のこなす仏事の順番になった時に、
緊張されたのか大きく息を吸い込んでいたお坊さんもいた。
補助に来られていた若いお坊さんたちもそれぞれに、
秩然と責務をこなされていた。
思い返せば、
叔父のご伴侶(所謂、大黒様)が亡くなった時も、
多くのお坊さんが来られた物凄く立派なものだったが、
今回は更に荘厳という感じだった。
弔辞では普通なら特に親しかった友人などが、
それを読むのだが、
今回は大本山永平寺の専使(“使”である、地元のお坊さん)、
大本山総持寺の専使(同上)が梵語の散りばめられた、
貫首の言葉を代読した後に、
地域の首長的なお坊さん方が(これは一般の弔辞同様に)、
故人を偲んだ。
こうして2時間、最後はお坊さんたちの読経の中、
(20数名のお坊さんの読経なので相応の迫力がある)
親族や灰寄せの人たちが焼香して葬儀を終えた。
御斎の際の事。
これも普通ならあまりないと思うのだけど、
本葬で弔辞を述べる事ができなかった方々がこの席で、
弔辞を述べた。
叔父が亡くなってからは随分と時が経つのだが、
改めての言葉を頂戴して、
行く行くは寺を継ぐであろう孫の僧侶が涙ぐむ場面もあった。
小さな小さな寺の大きな一日であった。
焼香が9時から、本葬が10時から行われた。
多くのお寺さんから大勢のお坊さんが来て、
幾人かのお坊さんによる、いくつかの仏事が執り行われた。
僕自身は今まで故人の親族席に座った事はあまりないので、
何とも言えないが、恐らく普通の葬儀では見られないような、
様々な仏事だった様に思う。
太鼓や鐘を打ち鳴らすのも滅多にはないと思うし、
中には、ご自分のこなす仏事の順番になった時に、
緊張されたのか大きく息を吸い込んでいたお坊さんもいた。
補助に来られていた若いお坊さんたちもそれぞれに、
秩然と責務をこなされていた。
思い返せば、
叔父のご伴侶(所謂、大黒様)が亡くなった時も、
多くのお坊さんが来られた物凄く立派なものだったが、
今回は更に荘厳という感じだった。
弔辞では普通なら特に親しかった友人などが、
それを読むのだが、
今回は大本山永平寺の専使(“使”である、地元のお坊さん)、
大本山総持寺の専使(同上)が梵語の散りばめられた、
貫首の言葉を代読した後に、
地域の首長的なお坊さん方が(これは一般の弔辞同様に)、
故人を偲んだ。
こうして2時間、最後はお坊さんたちの読経の中、
(20数名のお坊さんの読経なので相応の迫力がある)
親族や灰寄せの人たちが焼香して葬儀を終えた。
御斎の際の事。
これも普通ならあまりないと思うのだけど、
本葬で弔辞を述べる事ができなかった方々がこの席で、
弔辞を述べた。
叔父が亡くなってからは随分と時が経つのだが、
改めての言葉を頂戴して、
行く行くは寺を継ぐであろう孫の僧侶が涙ぐむ場面もあった。
小さな小さな寺の大きな一日であった。
Posted by zuky at 22:10│Comments(0)
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