2009年05月18日
朝陽の中で微笑んで
・快晴。
6時過ぎに一度目覚めたのだけど、
二度寝してしまった
長男も起きない。
朝練はどうなった!?
・先週はタイトルにユーミンの曲名を多く使った。
けれど、そうそうピタッとくるタイトルがあるワケではなかろう。
あまり無理しないでおこう。
・一昨日、携帯から画像付きで入れたブログは、
帰宅後にPCで確認したら、
画像に文字が隠れてしまったりしていた。
とりあえず、
画像を一番下に入れ直して、
文面が全部見えるようにした。
画像取り込みの設定をよく理解しとけば良かっただけなんだけど…。
・新型インフルエンザの国内感染が関西で増大している。
先ほど、会社の携帯宛てに社内の緊急メッセージが配信された。
出勤や外出時はマスクを必ず着用するように、とのこと。
メキシコ以外での致死率は低くても、
感染率はとてつもなく高そうだし、
インフルエンザには変わりないので、
万全を期すに越した事はないと思う。
6時過ぎに一度目覚めたのだけど、
二度寝してしまった

長男も起きない。
朝練はどうなった!?
・先週はタイトルにユーミンの曲名を多く使った。
けれど、そうそうピタッとくるタイトルがあるワケではなかろう。
あまり無理しないでおこう。
・一昨日、携帯から画像付きで入れたブログは、
帰宅後にPCで確認したら、
画像に文字が隠れてしまったりしていた。
とりあえず、
画像を一番下に入れ直して、
文面が全部見えるようにした。
画像取り込みの設定をよく理解しとけば良かっただけなんだけど…。
・新型インフルエンザの国内感染が関西で増大している。
先ほど、会社の携帯宛てに社内の緊急メッセージが配信された。
出勤や外出時はマスクを必ず着用するように、とのこと。
メキシコ以外での致死率は低くても、
感染率はとてつもなく高そうだし、
インフルエンザには変わりないので、
万全を期すに越した事はないと思う。
2009年05月17日
経(ふ)る時
本葬。
焼香が9時から、本葬が10時から行われた。
多くのお寺さんから大勢のお坊さんが来て、
幾人かのお坊さんによる、いくつかの仏事が執り行われた。
僕自身は今まで故人の親族席に座った事はあまりないので、
何とも言えないが、恐らく普通の葬儀では見られないような、
様々な仏事だった様に思う。
太鼓や鐘を打ち鳴らすのも滅多にはないと思うし、
中には、ご自分のこなす仏事の順番になった時に、
緊張されたのか大きく息を吸い込んでいたお坊さんもいた。
補助に来られていた若いお坊さんたちもそれぞれに、
秩然と責務をこなされていた。
思い返せば、
叔父のご伴侶(所謂、大黒様)が亡くなった時も、
多くのお坊さんが来られた物凄く立派なものだったが、
今回は更に荘厳という感じだった。
弔辞では普通なら特に親しかった友人などが、
それを読むのだが、
今回は大本山永平寺の専使(“使”である、地元のお坊さん)、
大本山総持寺の専使(同上)が梵語の散りばめられた、
貫首の言葉を代読した後に、
地域の首長的なお坊さん方が(これは一般の弔辞同様に)、
故人を偲んだ。
こうして2時間、最後はお坊さんたちの読経の中、
(20数名のお坊さんの読経なので相応の迫力がある)
親族や灰寄せの人たちが焼香して葬儀を終えた。
御斎の際の事。
これも普通ならあまりないと思うのだけど、
本葬で弔辞を述べる事ができなかった方々がこの席で、
弔辞を述べた。
叔父が亡くなってからは随分と時が経つのだが、
改めての言葉を頂戴して、
行く行くは寺を継ぐであろう孫の僧侶が涙ぐむ場面もあった。
小さな小さな寺の大きな一日であった。
焼香が9時から、本葬が10時から行われた。
多くのお寺さんから大勢のお坊さんが来て、
幾人かのお坊さんによる、いくつかの仏事が執り行われた。
僕自身は今まで故人の親族席に座った事はあまりないので、
何とも言えないが、恐らく普通の葬儀では見られないような、
様々な仏事だった様に思う。
太鼓や鐘を打ち鳴らすのも滅多にはないと思うし、
中には、ご自分のこなす仏事の順番になった時に、
緊張されたのか大きく息を吸い込んでいたお坊さんもいた。
補助に来られていた若いお坊さんたちもそれぞれに、
秩然と責務をこなされていた。
思い返せば、
叔父のご伴侶(所謂、大黒様)が亡くなった時も、
多くのお坊さんが来られた物凄く立派なものだったが、
今回は更に荘厳という感じだった。
弔辞では普通なら特に親しかった友人などが、
それを読むのだが、
今回は大本山永平寺の専使(“使”である、地元のお坊さん)、
大本山総持寺の専使(同上)が梵語の散りばめられた、
貫首の言葉を代読した後に、
地域の首長的なお坊さん方が(これは一般の弔辞同様に)、
故人を偲んだ。
こうして2時間、最後はお坊さんたちの読経の中、
(20数名のお坊さんの読経なので相応の迫力がある)
親族や灰寄せの人たちが焼香して葬儀を終えた。
御斎の際の事。
これも普通ならあまりないと思うのだけど、
本葬で弔辞を述べる事ができなかった方々がこの席で、
弔辞を述べた。
叔父が亡くなってからは随分と時が経つのだが、
改めての言葉を頂戴して、
行く行くは寺を継ぐであろう孫の僧侶が涙ぐむ場面もあった。
小さな小さな寺の大きな一日であった。
2009年05月16日
時のないホテル
って程のカッコいいもんじゃないけど。
ある佐久のホテルにて。
ちなみにイスラエルの文字はない。
当たり前。
叔父は小さな、貧乏寺を絵に描いた様な寺の住職だった。
その叔父が隠居して数年、
昨年末に往生した。
その正式な葬儀が明日に執り行われる。
今日も法要が執り行われた。
住職の法要だけに多くの寺から30人弱の僧侶が訪れ、
小さいながらも荘厳にそれは行われた。
叔父とはそれほどは交流はなかったのだが、
それでも、小学生の頃は何度か泊まりに行ったし、
従兄弟にもよくしてもらった。
住職だけあって、親父よりは懐深かった。
着物姿の腰に両手を構え、
縁側ににこやかに立つ叔父の姿が、
今も目に浮かぶ。
ある佐久のホテルにて。
ちなみにイスラエルの文字はない。
当たり前。
叔父は小さな、貧乏寺を絵に描いた様な寺の住職だった。
その叔父が隠居して数年、
昨年末に往生した。
その正式な葬儀が明日に執り行われる。
今日も法要が執り行われた。
住職の法要だけに多くの寺から30人弱の僧侶が訪れ、
小さいながらも荘厳にそれは行われた。
叔父とはそれほどは交流はなかったのだが、
それでも、小学生の頃は何度か泊まりに行ったし、
従兄弟にもよくしてもらった。
住職だけあって、親父よりは懐深かった。
着物姿の腰に両手を構え、
縁側ににこやかに立つ叔父の姿が、
今も目に浮かぶ。

2009年05月15日
街角のペシミスト
・晴れてはいるが。
今日は支社長を交えての業績会議。
たぶん絞られるだろう…。
しかも通勤途中の車の中で、
煙草を吸おうと思ったら、ライターがオイル切れ。
今日はろくな日になりそうにない…。 続きを読む
今日は支社長を交えての業績会議。
たぶん絞られるだろう…。
しかも通勤途中の車の中で、
煙草を吸おうと思ったら、ライターがオイル切れ。
今日はろくな日になりそうにない…。 続きを読む
2009年05月14日
緑の町に舞い降りて
・爽やかな青空が広がる朝。
通勤途中の車の中に流していたラジオ、
気象予報士か地方気象台の人か判らなかったけれど、
オジサンがこんなコメントをしていた。
「今日の長野は4月中旬くらいの肌寒い気温…」
確かに今朝は低めの気温だったし、
長野市の日中の予想最高気温も17度と、
5月としては結構、低い方だ。
けれど、“4月中旬の肌寒い”はないんじゃないかなぁ。
・「緑の町に舞い降りて」は盛岡がモチーフになっている。
で昨日、東北楽天の田中投手が復帰登板。
長短打を浴びるなどで3失点したものの、
7回を投げ切って勝ち投手。
もう一人、復帰登板の阪神の藤川。
抑えとして登板したものの、
広島の栗原に勝ち越し打を許して今季2敗目。
二人ともWBCに参加しての今シーズン序盤。
それぞれ身体に違和感を訴えての調整後、
明暗が分かれてしまった。
ちなみに今年から広島カープを応援しているので、
藤川の敗戦は複雑な気持ちだったけれど。
・飯田から伊那に向かっていた。
通常なら高速で飯田から乗って、
駒ヶ根で降りて、広域農道を使うのだけど。
今日は喬木村から天竜川左岸をずっと遡った。
途中、中川から飯島にかけて、
とても狭く曲がりくねった区間がある。
その狭さは軽乗用車でさえ全くすれ違いが出来ないくらい。
その木々に覆われた崖っぷちの区間は、
当然、入り口には「大型車通行困難」の立て札もある。
それくらいの道だから信号もないし、
滅多に車も通らない。
速度は出せないが、結構、いいペースで走れるのだ。
(見通しが悪いので油断は禁物)
晩春の陽光の中、はるか左眼下に天竜川を見下ろしつつ、
(と言ってものんびり景色を眺めている余裕はないのだが)
コーナーの先を注意しながら走って行くと…。
いきなり眼前に4~5tクラスのトラックのテールが現れた。
正直、こんなルートでトラックを見たのは初めてだった。
ナンバーを見ると県外車だった。
「なんでこんなところ走ってるかなぁ」
という後ろからの僕の気配を察してか、
トラックは直後にあった右コーナー奥の擦れ違い用の
僅かに拡幅されたスペースに車体を寄せ、
僕に先を譲ってくれた。
しかし。
あの先、道はさらに厳しくなるのだけど、
あのトラック、通れたかなぁ。
あの道ではとてもじゃないけれど引き返す事はできないし。
さて、さて…。
通勤途中の車の中に流していたラジオ、
気象予報士か地方気象台の人か判らなかったけれど、
オジサンがこんなコメントをしていた。
「今日の長野は4月中旬くらいの肌寒い気温…」
確かに今朝は低めの気温だったし、
長野市の日中の予想最高気温も17度と、
5月としては結構、低い方だ。
けれど、“4月中旬の肌寒い”はないんじゃないかなぁ。
・「緑の町に舞い降りて」は盛岡がモチーフになっている。
で昨日、東北楽天の田中投手が復帰登板。
長短打を浴びるなどで3失点したものの、
7回を投げ切って勝ち投手。
もう一人、復帰登板の阪神の藤川。
抑えとして登板したものの、
広島の栗原に勝ち越し打を許して今季2敗目。
二人ともWBCに参加しての今シーズン序盤。
それぞれ身体に違和感を訴えての調整後、
明暗が分かれてしまった。
ちなみに今年から広島カープを応援しているので、
藤川の敗戦は複雑な気持ちだったけれど。
・飯田から伊那に向かっていた。
通常なら高速で飯田から乗って、
駒ヶ根で降りて、広域農道を使うのだけど。
今日は喬木村から天竜川左岸をずっと遡った。
途中、中川から飯島にかけて、
とても狭く曲がりくねった区間がある。
その狭さは軽乗用車でさえ全くすれ違いが出来ないくらい。
その木々に覆われた崖っぷちの区間は、
当然、入り口には「大型車通行困難」の立て札もある。
それくらいの道だから信号もないし、
滅多に車も通らない。
速度は出せないが、結構、いいペースで走れるのだ。
(見通しが悪いので油断は禁物)
晩春の陽光の中、はるか左眼下に天竜川を見下ろしつつ、
(と言ってものんびり景色を眺めている余裕はないのだが)
コーナーの先を注意しながら走って行くと…。
いきなり眼前に4~5tクラスのトラックのテールが現れた。
正直、こんなルートでトラックを見たのは初めてだった。
ナンバーを見ると県外車だった。
「なんでこんなところ走ってるかなぁ」
という後ろからの僕の気配を察してか、
トラックは直後にあった右コーナー奥の擦れ違い用の
僅かに拡幅されたスペースに車体を寄せ、
僕に先を譲ってくれた。
しかし。
あの先、道はさらに厳しくなるのだけど、
あのトラック、通れたかなぁ。
あの道ではとてもじゃないけれど引き返す事はできないし。
さて、さて…。
2009年05月13日
よそゆき顔で
・これから“よそゆき顔”になるのではなく、
今までが“ブログ”を意識しすぎて“よそゆき顔”だったのだ。
考えてみたら追記機能もあるのだし、
思いついた事をその都度に記載すればいいのだ。
と言っても携帯はどうも入力し辛いし、
会社のPCはアクセス制限があって、ブログには入れないのだが。
と記載しつつ、この構成もまるっきりN先生を見習ったやり方だったりする。
・で、N先生のサイトを覗いたらNHKの「Songs-忌野清志郎」の話題があった。
しまった、つい最近まで録っておこうと思っていたのに忘れてた…。
・今日中には作っておきたい書類、
僕自身がフォーマットの中身をよく見ていなかったのもあるけれど、
過去のデータをひっくり返したり整合性を考慮したりでやり直す。
面倒くせ~
・どんよりとした雲に覆われていた空も、
天気予報通りにすっかり晴れ渡った。
とても面倒だった書類もなんとか切り上げた。
そういえば昨日、
仕事で箕輪から諏訪に向かったのだけど。
辰野から諏訪へ抜けるのどかな有賀峠を、
気持ち好く駆け上がって諏訪側へ降りた。
(もっともこの峠は登る前から諏訪市なのだけど)
峠も終盤、市街地に近くなってくると、
諏訪湖畔が眼下左前方にに見えてくる。
昨日はその諏訪湖東南に拡がるの田んぼに
水が張り巡らされていて、
なんだかまるで諏訪湖が大きくなったように見えた。
きっと今日の今頃は陽光をキラキラ反射させて、
とてもきれいなんじゃないだろうか。
これまで何度も通っていたルートなのに、
今までそうした風景は見た事がなかったような気がする。
この季節に走った事がなかったのか、
それとも風景を気にして走っていなかったのか。
写真を撮る余裕が無かったのはザンネン…。
今までが“ブログ”を意識しすぎて“よそゆき顔”だったのだ。
考えてみたら追記機能もあるのだし、
思いついた事をその都度に記載すればいいのだ。
と言っても携帯はどうも入力し辛いし、
会社のPCはアクセス制限があって、ブログには入れないのだが。
と記載しつつ、この構成もまるっきりN先生を見習ったやり方だったりする。
・で、N先生のサイトを覗いたらNHKの「Songs-忌野清志郎」の話題があった。
しまった、つい最近まで録っておこうと思っていたのに忘れてた…。
・今日中には作っておきたい書類、
僕自身がフォーマットの中身をよく見ていなかったのもあるけれど、
過去のデータをひっくり返したり整合性を考慮したりでやり直す。
面倒くせ~

・どんよりとした雲に覆われていた空も、
天気予報通りにすっかり晴れ渡った。
とても面倒だった書類もなんとか切り上げた。
そういえば昨日、
仕事で箕輪から諏訪に向かったのだけど。
辰野から諏訪へ抜けるのどかな有賀峠を、
気持ち好く駆け上がって諏訪側へ降りた。
(もっともこの峠は登る前から諏訪市なのだけど)
峠も終盤、市街地に近くなってくると、
諏訪湖畔が眼下左前方にに見えてくる。
昨日はその諏訪湖東南に拡がるの田んぼに
水が張り巡らされていて、
なんだかまるで諏訪湖が大きくなったように見えた。
きっと今日の今頃は陽光をキラキラ反射させて、
とてもきれいなんじゃないだろうか。
これまで何度も通っていたルートなのに、
今までそうした風景は見た事がなかったような気がする。
この季節に走った事がなかったのか、
それとも風景を気にして走っていなかったのか。
写真を撮る余裕が無かったのはザンネン…。