経(ふ)る時
本葬。
焼香が9時から、本葬が10時から行われた。
多くのお寺さんから大勢のお坊さんが来て、
幾人かのお坊さんによる、いくつかの仏事が執り行われた。
僕自身は今まで故人の親族席に座った事はあまりないので、
何とも言えないが、恐らく普通の葬儀では見られないような、
様々な仏事だった様に思う。
太鼓や鐘を打ち鳴らすのも滅多にはないと思うし、
中には、ご自分のこなす仏事の順番になった時に、
緊張されたのか大きく息を吸い込んでいたお坊さんもいた。
補助に来られていた若いお坊さんたちもそれぞれに、
秩然と責務をこなされていた。
思い返せば、
叔父のご伴侶(所謂、大黒様)が亡くなった時も、
多くのお坊さんが来られた物凄く立派なものだったが、
今回は更に荘厳という感じだった。
弔辞では普通なら特に親しかった友人などが、
それを読むのだが、
今回は大本山永平寺の専使(“使”である、地元のお坊さん)、
大本山総持寺の専使(同上)が梵語の散りばめられた、
貫首の言葉を代読した後に、
地域の首長的なお坊さん方が(これは一般の弔辞同様に)、
故人を偲んだ。
こうして2時間、最後はお坊さんたちの読経の中、
(20数名のお坊さんの読経なので相応の迫力がある)
親族や灰寄せの人たちが焼香して葬儀を終えた。
御斎の際の事。
これも普通ならあまりないと思うのだけど、
本葬で弔辞を述べる事ができなかった方々がこの席で、
弔辞を述べた。
叔父が亡くなってからは随分と時が経つのだが、
改めての言葉を頂戴して、
行く行くは寺を継ぐであろう孫の僧侶が涙ぐむ場面もあった。
小さな小さな寺の大きな一日であった。
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