雨のち晴れ。
昨夜から朝にかけて降り続いていた雨は午前中には止んで、
午前中は厚い雲の下。
風がそよ吹いてはいたけれど、
湿気を孕んでいて、少し蒸し暑ささえも感じた。
午後からは晴れ間が拡がり、西日がきつかった。
なにぶん、いきあたりばったりであるが故、
あ、あれやってない、これやってない。
ふと気づけば、来週末まではゆったりと書類仕事をやっている余裕がない。
本来なら新人君の為にも現場にバシバシと出ていなければいけないのだけど、
今日は割り切って、来週末が締め切りの企画書の作成。
新人君には、商品登録の確認と修正を手伝ってもらった。
今日の若葉マークコーナー。
事務所から数km程の食堂及びPCデポとの往復のみ。
ところで、先週まで彼に与えられていた営業車、車検切れと同時にリース契約解除。
で、一昨日、業者に引き渡し。
実は…。
いろいろと事情があって、
当初はその補充のクルマを準備していなかったので、
新たにクルマが来るのに一ヶ月ほど待たねばならない。
今日の彼、「ハンドル握るの久しぶりだぁ!」って…。
でも、そうは言っても徐々には慣れてきていたようで、
ひと月前ほどの、助手席でのドキドキ感は少なくなった。
いや、飽くまでも“少なくなった”だけだけど…。
まだまだ戦いは続く…。
さて。
数日前までにニュースや紙面に扱われていた話題には、
南アフリカでの戦いのことだけでなく、60年安保闘争の事があった。
(ん~んと、一応、僕の生まれる前の話だ!え~っと、つまり僕はまだ50歳には達してませぇ~ん)
で、樺美智子さんの事が幾度か伝えられていた。
正直、樺さんのことは、そう言えばそんな事があったらしい、
くらいの認識しかなかった。
なのでいまだに、樺さんがどういう意識、ポリシー、心情のもとでデモに参加したのかは、
詳しくは知る由もない。
けれど、あの頃の市民は、学生は、声を挙げていたらしい。
そして。
樺さんが亡くなってから9年後、学園紛争の最中の、やはり6月。
二十歳の原点、高野悦子さんが自らの足で旅路に立った。
ともすれば、
マスコミがこの2人の才女を悲劇のヒロインに祀り上げた部分もあるかも知れないけれど。
60年代、真摯に社会に向き合った若き女性がいたということだ。
もちろん、それは昔も今も変わらない。
今でもやり場のない気持ちに震える若者はいる。
悩め、苦しめ、そしてガンバレ!
としか言いようがないのだけど。
あ、新人く~ん。
君はどぉ?
え?
おバカな先輩社員のお蔭で、
別のイミで不安になりつつある、
ってか!?