今昔物語

zuky

2009年10月09日 23:05

晴れ。
朝早いうちはキリッとした空だったが、
午前中は雲も多く、
台風一過の一面の青空、という感じではなかった。
それでも午後になると、
秋満面といった澄んだ空とレモンスカッシュのような陽射しが拡がった。


今日も穂高へ。
ひと仕事を終えて、
次の目的地は戸倉(道程的にはとても非効率なのだが)。
穂高を出てすぐ、
とりあえずトイレに、と思った。
ついでにやや遅めの昼食もと思い、
安曇野スイス村のドライブインに立ち寄る。



安曇野方面に行った事のある人なら大概は訪れた事があるかも知れないが。
同じ建物にサッポロライオンも入っているし、
一見、内部もかなりオシャレな雰囲気なのだろうと思うのだけれど。
中に入るとそこはかなり庶民的な雰囲気で、
いたる所にある道の駅となんら変わりない。
数年前までは仕事中に通りかかっても、
ネクタイ姿では何となく入り辛そうで敬遠していたのだが、
以前、ふと入ってみたら何の事はなかったので、
今日も立ち寄ったまで。
で、店内のファストフードコーナーもなんだか寂れた感じで、
まあそれでも夏場の観光シーズンには活況を見せるのかも知れないけれど、
とにかく、その外観とのギャップと言ったらありはしない。
お陰で気軽に入れるのだから好いのだけど。


戸倉に向かうには、
やっぱり高速が一番。
ETCを搭載していれば、
割引にもなるし途中の姨捨PAで降りられるから、
時間的にも金銭的にも以前とは違って余裕がある。
けれど今日は下道を使うことにした。

スイス村を出て直ぐ、光橋西の交差点を左折。
光橋を渡ってR19にぶつかったらまた左折。
そのまま明科も突っ切って木戸の交差点。
長野に戻るなら左折だが、ここを右折してR403を登る。
随分と久し振りに使うルートなので、
どんな状態の道だったかは忘れてしまっているが、
向かう先は筑北村。
山道を上り下りして順調に聖南までは行った。
が、この後に少し勘違いをして、
坂北駅前に行ってしまった。
まあ、どっかどっか道は繋がっているだろう、
なんてテキトーにハンドルを切っていると、
「善光寺街道」なる立て札が目についた。
といっても車1台分くらいの細い道。
暫く走ると「青柳宿」とあり、
ああ、いにしえの宿場だったのだなぁ、
なんて思いながらゆるゆる走る。
そこから先、道は山道のようになり、
ちょっと怪しげな感じにもなったのだけれど。
それでもきちんと舗装されているし、
やっぱり、まあ、どっかどっか道は繋がっているだろう、
なんて(う~ん、オプティミカルオプティミスト…)スピードを緩めながら分け行った。
すると、またやや大きめな立て札があり、
「善光寺街道」云々とか「切り通し」云々とか書いてあった。
まあいいや、と更に進んで行くと。



こんな風に岩が“切り通されて”いた。
画像には写っていないが、
画面の右手には数多くの古い石仏などがあり、
また「切り通し」の間の右側の壁の高さ3m程の所には、
よく見えなかったのだが、
「御普請所」とかなんとか、数行に亘って、
岩を彫り記されていた。
この「切り通し」の手前にちょっとした駐車スペースがあったので、
さすがに車を停めて、歩いてこの“切り通し”を往復してみたってワケ。

で、この時、「切り通し」の向こうから随分とやかましく車の往来する音が聞こえていた。
多分、高速道が近いのだろうとは思った。
そして「切り通し」を車で抜けてほんの暫くしたら、
案の定、高速道が目の前に。
走りなれた高速道だから、
ちょっと見ればだいたいどの辺りか見当はつく。

周辺を見ると。

ありゃ、麻績PAの真裏。
「善光寺街道」と「青柳宿」は、
今や「長野道」と「麻績PA」に変化していたのだった。

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