稲穂
曇り(朝方、小雨)。
稲刈りシーズン。
今年の作柄は夏場の日照不足もあって小粒で、
芳しいとは言えないらしいが、
それでも稲穂はたわわとなって、
頭を垂れていた。
今朝の通勤途中の東通り(片側2車線)。
反対車線の方で、著しくクラクションが鳴った。
目の端に写った瞬間の印象では、
歩道側の車線に、
荷降ろしの為のトラックが停まっていて、
その歩道側車線を走っていた車が、
強引にセンターライン側の車線に強引に割り込んだので、
クラクションが鳴らされたようだった。
事故にならずに良かったのだが、
割り込まれた車は、
かなりしつこくクラクションを鳴らしていた。
割り込まれた車としては、危険を感じただろうし、
憤慨したのだろう。
この場所は数百メートルの直線の最後の辺りで、
実はこういう事がよくある。
僕も帰路で、歩道側の車によく前方を譲るし、
譲ってもらう事もある。
恐らく、一番の問題はその停車していたトラックなのだろうけれど、
要は歩道側を走っている車は、
かなり前から前方のトラックに気付いているはずなので、
その時点から上手に車線変更を試みればいいと思うし、
なかなかできるタイミングがなかったら、
それは仕方ないから、
後方から来る車が途切れるのを待つしかないと思う。
けれど。
それだけではないような気もする。
センターライン側の車も、
“割り込まれる”という事は自分の左斜め前に、
車が走っているのは解っているはずだし、
その更に前方にはトラックが停まっている事も認識できるはず。
「割り込んで来るかも知れないな」くらいの感じは、
持っていてもいいのではないだろうか。
所謂、「だろう運転」と「かも知れない運転」。
勿論、相当にヒドイ割り込み方をする車に対して怒り心頭になる気持ちは、
充分に理解できるのだけど。
正直、僕は傲慢であり、その上におっちょこちょいなので、
自分の行動や言動の為に恥ずかしい思いをしたり、
最後には自分が深い傷を追う事がある。
そうした事がよくあって、
その度に自分を諌めてはいるのだが、
バカは死ななきゃ治らない、
という事なのか、また失敗をする。
とある、大事に考えていた方の記事。
かなり怒っておられる内容だった。
その内容とタイミングを考えると、
どうにも激しい怒りを、
“僕に対して”抱いておられるように思えた。
(そうでないのならそれはそれで良いが、
今後も考えれば改めて自分への苦言としたい)
その怒りの中身は、
僕がその方の短文に対して、
からかいというか、
想いを汲んでいないというか、
宜しくない文章を寄せた、
と受け止められての事らしい。
当然、僕にはそんな気などはさらさらなかったし、
ただでさえ、その方は多分に神経の細やかな方だと思うので、
その方に関連する場合には、
安易な文面で寄稿しないよう心がけていたつもりだった。
けれど、読み返してみると、
宜しくないと受け止められても仕方のない文章だった。
大きなエラー。
僕は以前にも、
当ブログで痛い思いをしているので、
公の場に出す文章には気をつけていたのだが、
このところの慣れもあってか、
気が緩んでいたようだ。
(これでは選手たちを叱れない)
ちなみに、
その方の記事の主文は、
謝って済む、では済まされない、というような内容だったので、
もう取りつくしまもない。
ひたすら、
これからのこうした機会に、
再び失態のないよう留意することで、
この事への禊としたい。
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